今回は、現代社会を生きる男性が、なぜつらいのかを解説する。
「男性の生きづらさ問題」に関心を抱いている人は、参考にしていってほしい。
目次
実際につらい目に遭っている人が多い
「男性の生きづらさ」について、客観的に言えることとして、「ホームレス」「自殺者」「長時間労働者」「低賃金肉体労働者」の男女比を見ると、男性のほうが比率が高い。
「賃金」や「管理職」などの指標を見て、「日本は男性が有利な社会だ!」と言われることが多いが、一方で、「過酷な待遇に追いやられている人」は、男性が多い。
にもかかわらず、社会的には男性が有利なことになっているので、「女性が被る不公平をなくそう」という話はよくされても、「苦しんでいる男性を救おう」という話にはなりにくい。
人間の本能的に、男性の優先度は低い
男性は、福祉や保護を与える優先度が高くならない。
これは、本能的なものが反映されていると考えられる。
例えば、共同体が危機に遭ったとき、「男性を重視する集団」と「女性を重視する集団」とでは、後者のほうが生き残りやすかったと考えられる。
「多数の男性と少数の女性」の組み合わせよりも、「少数の男性と多数の女性」の組み合わせのほうが、人口の再生産がしやすいからだ。
つまり、「女性を大事にする本能」を持っている人間のほうが生き残りやすかったので、今いる我々にもその本能が備わっている。
もちろん、そのような「本能」とは別に、「理性」によって社会を運営していこうというのが現代の価値観だ。
しかし現実的には、女性を重視する本能が強く反映され、「理屈」を超えて、女性が優遇されることが多い。
「男性が被害を受けたニュース」と「女性が被害を受けたニュース」では、圧倒的に後者のほうが注目され、問題視されやすい。
男性不利な法律(慣例)が改めようとされない
かつての日本は、実際に、家父長制が色濃い社会だった。
だが、すべてにおいて男が有利な社会ではなく、「男は仕事、女は家」という形で、パワーバランスが取られていた。
それは、例えば、裁判所の判例に見ることができる。
「家」の領域に関するものは、女性に有利な判決が出されることが多く、その最たるものは「親権」だ。
日本では、子供の意志や、女性側の扶養能力とは関係なく、「母親」に親権が行くことが多い。その場合、父親側は、子供に会えないのに、養育費だけを支払わなければならないことになる。
このような仕打ちは、共同親権が前提の日本以外の先進国からすると、「人権侵害」と言われても仕方のない事態だ。(参考:日本人の親による「子供連れ去り」にEU激怒──厳しい対日決議はなぜ起きたか)
「判例」を重視する裁判においては、それが何らかの法改正で改められない限り、日本の男性に不利な判決が出る状況は続く。
これは極端な例かもしれないが、妻が浮気をしていて、実の息子でなかったとしても、養育費を支払わなければならないというケースもあるようだ。(参考:他人の子を夫に育てさせる托卵女子が怖すぎ「1年バレなければ養育費GET」)
「仕事」の領域における男性有利の多くが解消されているのに対して、「家」の領域における女性有利は解消されようとしない。
男女平等であれば、女性の特権も廃止されていくべきなのだが、そうはならず、相対的に男性が苦しくなっていく。
男女の性的魅力の格差が大きすぎる
「男女平等」の教育がいくらされようとも、自由市場によって「若い男性」と「若い女性」の価値が判定されれば、そこには大きな差が生じる。自由市場の評価では、女性のほうが、価値がずっと上なのだ。
「市場」は、「こう教育されたからこうなる」ではなく、「個人の欲望の集積」なので、どうしようもないのだ。
- 男は責任
- 女は貞淑
- 結婚するべき
といった、「古い規範」は、女性の性的魅力を抑制することで、男女のマッチングを成立させる効果を持っていた。
実際に、「古い規範」があった時代は、「みんなが結婚する社会」が成り立っていた。
制限のない自由市場では、女性側があまりにも有利なので、「男は偉い」という風潮を社会が作ることによって、やっと1対1の「結婚」が成り立っていた、とも言える。
自由恋愛が結婚にもたらした影響については、「自由恋愛が続くと少子化で社会が崩壊する件について」の記事で詳しく解説している。

恋愛における競争がヤバいほど厳しい
「古い規範」が解体されたあとにやってきた「自由恋愛市場」において、男性は非常に過酷な競争を強いられる。
「男は責任」という概念がなくなれば、男性は、とりあえずたくさんの女性にアプローチするようになる。
女性も奔放になるので、多くの男性と付き合うようになる。
全体として「恋愛」のレベルは上がっていく。
だが、アプローチに慣れた「モテる男性」と、短期的にでも付き合った経験のある女性が大半になるので、女性の「基準」が厳しくなる。
女性は、年齢を経ても、「若くてモテた頃の基準」を落とせず、恋愛が苦手な男性で妥協しようとは思わなくなる。「結婚するべき」という規範がなくなったので、なおさらである。
そのため、一部の男性の「勝者総取り」の傾向が強まり、その他大勢の、特に目を見張るようなものがない男性は、恋愛において非常に苦しくなる。
さらに、「幅広い年代の男性」の狙いが「若い女性」に集中する傾向があり、少子化によって「若い女性」の比率も減っているので、男性に課せられた競争は、輪をかけて過酷になっている。
これについて詳しくは、「男性の恋愛競争があまりにも無理ゲーすぎる件について」で書いている。

マッチングアプリなどのような自由な恋愛の場では、どんな女性でも、適当にプロフィールを登録すれば、たくさんの男性からアプローチが来る。
一方で、マッチングアプリを使う男性は、高ステータスのイケメンであっても、戦略的に行わないと、マッチできない。
それくらい、男性にとって自由恋愛は厳しいものなのだ。
男女平等なのに、女性は「上昇婚」志向
男女平等の社会になっても、女性には依然として「上昇婚」志向が残っている。
ひとりひとり考え方は違うだろうが、統計的に見ると、女性は、自分よりステータスが「上」か「同等」の男性を好みやすく、「下」の男性を選びにくい。
社会問題を論じる上で、このような女性の「上昇婚(ハイパーガミー)」を問題視する声もある。
なぜなら、「上昇婚」志向を持った女性が、社会で地位を得ていくと、男女がマッチングしなくなるからだ。
女性の「上昇婚」志向は、男性の競争を過酷なものにしていく。男性は、男女平等のもとに、女性と対等に競争しなければならなくなった。だが、女性は経済的に負けてもパートナーを問題なく得られるのに対して、男性の場合は、競争に負けてしまうとパートナーを得られない可能性が高く、「負ければより多くを失う戦い」になっているのだ。
重圧から降りることができない
よく、男性の生きづらさが語られるとき「男性も固定観念を捨てて、重圧から降りましょう」とか「男だって弱音を吐いていいんだよ」という結論になることが多い。
もちろん、競争から降りて弱音を吐く自由はある。
だが、男性が弱音を吐いても、異性からは存在しないものとして扱われ、同性からは軽蔑されて終わる。
女性側の感覚としては、「あなたも弱音を吐いてもいいんだよ」というのが救いの言葉のつもりなのかもしれないが、「弱音を吐いた人間を助ける役割を背負わされている」というのが男性側の感覚なのだ。
そのため、男性の場合、男女平等への不満の表明が、「責任を放棄する」という形で行われる。
アメリカで「MGTOW(ミグタウ)」と呼ばれる男性の運動があり、これは「Men Going Their Own Way(自分の道を行く男たち、という意味)」の略だ。
彼らは、「課せられた役割を放棄して、何もしない」ことが、社会に対する反抗になると考えている。「男性が感じている重圧」は、それくらい根強いものなのだ。
以上、「なぜ男性はつらいのか?」について解説してきた。
まとめると
POINT
- 「ホームレス」「自殺者」「キツい労働」など、現実的につらい目に遭っている人間は、男性の比率が高い
- 人間の本能的に、男性の被害性は低く見られる傾向があり、それがメディアでの扱いや実際の政策にも反映されている
- 女性が不利なルールは改正が進んでいるが、男性が不利なルールはそのままにされがち
- 「古い規範」がなくなったことで、男女の性的価値の格差が浮き彫りになり、恋愛において厳しい競争に勝たなければ、パートナーを得られなくなった
- 恋愛自由市場が解禁されると、一部の強者男性が「総取り」していく傾向が強まり、他のモテない男性は何もできなくなる
- 賃金などにおける男女平等が進んでいるが、女性は「上昇婚」志向を持ったままなので、男性にとっては、競争が過酷になったと同時に、ますます負けられなくなった
- 「弱音を吐く自由がある」と言われても、弱音を吐いたところで救済される立場ではない
となる。